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100歳以上のお年よりが全国で280人ほど所在がつかめないと言う発表が新聞に載っていました。こうした人々の子供たちは戦争末期に生まれた人々でしょう。現在80歳から60歳代が彼らの子供たちだと推測できます。世界一の長寿国であり、世界第2位の経済大国といわれてきたわが国の影の部分がここに現わされているように感じます。
戦前、戦中は修身という道徳教育が徹底していたと言うのが教育の歴史ですが、100歳以上のお年寄りの方々は道徳教育の中で育った人々です。そして敗戦時この人々は30代40代の働き盛りの人々でした。と言うことは道徳教育を生きた人々といってよいと思います。
どんな家族にも問題はあります。ですからその家庭での問題がこのような形で社会問題化したとも言えるでしょう。兄弟や親子であっても何十年もかかわりを持たないまま来てしまったと言う事もあると思いますが、私はここに日本が敗戦を終戦と言い、戦後処理をきちんと責任的にしてこなかった日本の政治のあり方が、こうした事態を生んでいるように思います。
余りにも論理が飛躍していると感じられる人も居るかもしれませんが、政治は大人が運営するもので、その施策は大人の考え方一般が反映されたり、あるいは世論を作っていくものです。世界でユニークな日本文化は世界でかなり受け入れられてきているものの、無批判にグローバリズムを受け入れてきた戦後経済の発展の闇の部分では人心が荒廃して来ていることを知らせてくれる新聞報道であったように感じます。今さらに深く「神の愛と知恵」を受け入れ、自分の信仰をより強化することが必要とあらためて感じます。 |
2010年8月22日(日)牧師 國枝欣一 |
今日は太平洋戦争敗戦記念日です。12日に植松さんと二人で教会の古い写真の整理に取り掛かりました。戦前の西大久保の教会は空襲で焼け、戦前の写真は1枚もありませんでしたが、戦後狛江の会員の方から自宅を開放していただき教会学校と礼拝を守ったこと、その後、経堂3丁目の土居家の自宅で礼拝が持たれたことを知りました。沖山さんの婚約式の写真は経堂3丁目での写真でしたが、その時のテーブルはリンゴ箱の上に和服の洗い張りをする板に白い布をかぶせたものでした。
また私の存じ上げない熱心な会員の方がご近所の人々を連れてこられ、そのお一人に野田先生が絵をたくさん描いていただいた松浦さんがいたのだと言うことを知りました。松浦さんご夫婦の写真もあり、かって遠藤淑子さんに連れられて奥様を訪問したことを思い出しました。会堂が出来立てでまだステンドグラスの入っていない写真もありました。青年会や花の日の教会学校の写真もありました。
高田悠さんの青年時代、照子さん、淑子さん、睦子さんの3姉妹をはじめ多くの先達の方々の働きがあって今日の東京新教会があることを改めて強く思わされました。ご自宅にある古い写真を教会に寄付いただけると幸いです。昔のことがだんだん分からなくなってきています。早いうちに記録にとどめておきたいと思います。敗戦は日本の新たなるスタートでしたが、同時にそれは東京新教会の新たなる出発の時でもあったと強く感じさせられます。
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2010年8月15日(日)牧師 國枝欣一 |
「歴史上1番長かった梅雨は何時だったか」というトンチのような質問があります。その答は今である「今年の梅雨」です。なぜかと言うと何でもその最中は一体これが何時終わるのか分からず永遠に続きそうな気もするからです。しかし歴史上梅雨の明けなかった夏はありません。例年より1週間長い、10日長いと言うことはあっても、梅雨にはいつも終わりがあります。
信仰生活を送る過程で私たちはしばしば試練に出会います。家族の病気や介護、経済上の問題、仕事の中での困難、人間関係、老後の不安など、その試練の数は限りなくあります。スウェーデンボルグは試練の後に平安が訪れるとその著作の中で繰り返し述べています。人は試練の中にあるとき悶々とし、苦しみます。この苦しさは何時終わるのだろうかと不安になります。
しかし「梅雨」のように「試練」もまた必ず終わりがあります。これが解かっていると試練そのものから来る辛さや、苦しさ、不安の強度は変わらなくても、試練の最中にある私はそれを耐え安くなるということがあります。その上更に、この試練が霊的成長のために不可欠であると私たちは教えられています。「主よ、お助けください。」と祈るとき私たちは孤独にはなりません。なぜならばそこに主が居てくださることを感じられるからです。主の臨在を実感できるとき、私たちの中には新教会、信仰が成長します。ありがたいことです。
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2010年7月18日(日)牧師 國枝欣一 |
私たちには「意識」があるから自分と言う存在を理解できます。しかしその「意識」とは何でしょうか。「意識」については余りにも当たり前なので人はそれを問うことをしてきませんでした。意識があるないは心臓が動いている、自発呼吸がある、瞳孔の反応があるという生体反応の上に応答ができると言うことが医学上の判定基準です。しかしこうしたことが自分という存在は肉体であると言う錯覚を生み出します。そこから肉体の死への恐怖が生まれてきますし、その「意識」が危機に瀕することで病気が起こってきます。「意識」はいわば私と言う存在を動かすモーターのようなものと言ってよいでしょう。しかし現代の医学ではその所在は突き止められていません。
この「意識」は霊と言っても良いと思います。この「意識」が病んでいると、それは性格のゆがみと言う形で行為に現れたり、病気と言う形で肉体に現れます。またこの「意識」は自分とはこういうものという自我を育てます。となると自分の中にある怒りとか恨みとか嫉妬とか言う感情は自分の意識したものに対する感情となります。そうなると周りは関係ありません。もっぱら自分の意識の問題です。こう考えてゆくと「すべて良き事は神から、悪しきことは人間から」というスウェーデンボルグの言葉が生き生きと現実味を持って迫ってきます。
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2010年7月11日(日)牧師 國枝欣一 |
ねっとりと肌にまつわりつくような空気、汗がじっとりと浮き出して来るような蒸し暑さ。梅雨そのものです。そんな日々が続いています。確かに不快ではありますが、しかし懐かしさも感じています。60年ほど前には「雷が来ると梅雨が明ける」と言われていました。
今ではお構いなしに雷はなりますし、局地的豪雨と言う大雨が降ります。その上竜巻の発生が伝えられることもあります。20年前ボストンに行ったとき、竜巻に対する避難訓練があって、「へぇ~、これがアメリカだ。」なんて思いましたが、日本にも必要になってきているのかなと思います。困った世界標準です。グローバル化です。
60年前、家庭には冷蔵庫も洗濯機もありませんでした。トマトやスイカなどは井戸で冷やして食べました。母は井戸端で木製のたらいと洗濯板でしゃがんで洗濯し、8竿、9竿 と洗濯物を干していました。高い柱2本の間に、竹製の竿を渡して洗濯物を干す風景も見られなくなって久しいです。井戸端会議もなくなりました。その周りで遊ぶ子供たちの歓声もなくなりました。
梅雨の合間の強い太陽の日差し、肌にまとわり付くような空気に、懐かしさを感じさせられるのは私だけでしょうか。エアコンの効く部屋に居て、脱水機の中から出す洗濯物を見て、もうすぐ来る夏を思いながら、60年前を思い出せる自分の存在に驚いても居る今日この頃です。
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2010年7月4日(日)牧師 國枝欣一 |
週報アーカイブ 2010年3月〜6月 |